無心のすすめ
きのう夕飯の支度で、もくもくと野菜のみじん切りをしていた時の事です。
ふと、我に返り、
「いま私、無心になっていた!」
と、思いました。
学生の頃は絵を描くのが好きで、絵を描いている時にはたまに無心になっていましたが、
歳をとり、
感性も衰え、
今ではもう、「絵を描こう」などと考えもしなくなり、
無心になる事もなくなった…と、思っていました。
けど、
こんなふうに、野菜のみじん切りごときで無心になっているのだから、自分が覚えていないだけで、普段からちょいちょい無心になっている時間はあったのかもしれません。
人間たまには無心になる事も必要な気がします。
根拠は特にありません。
ただなんとなく、
情報社会を生きる現代人の脳は相当お疲れになっているに違いないからたまには何も考えない時間があっても良いのかも?
と、思った程度です。
今さらですが、「無心」という言葉にはいろいろな意味や使われ方がありますが、私がいまここで使っているのは、
「意思、感情の動きがないこと」の意味です。